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川勝平太(国際日本文化センター教授)の本
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■川勝平太(国際日本文化センター教授)の本
1NHKブックス・日本文明と近代西洋・1991年初版・1020円■
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1991年、フランス歴史学者の翻訳本が、藤原書店から出版されました。
ブローデル「地中海」。16世紀の後半の西欧スペインオーストリーのフエリ
ーぺ2世の治世の地中海の政治・文化・社会の全体の流れを書いた大きな本で
す。元本は、第2時世界大戦の後1949年にフランス発行されました。また、ブ
ローデル「地中海」に影響を受けた川勝平太先生先生の本が刊行されました。
この時から、静かな、歴史認識における革命が始まりました。海から見た歴史
観です。すでにご存知の方も多いでしょうが。
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A.NHKブックス・日本文明と近代西洋・1991年初版・1020円
B.中央公論新社・文明の海洋史観・1997年初版・1900円
C.PHP研究所・海洋連邦論・2001年初版・1600円
D.南風社・日本史を海から洗う(竹内実・村井章介他編著)・1996年・
1800円
その他の著作よりのまとめ。
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ヨーロッパに偏った世界史でもなく、世界史・東洋史・日本史を貫き、また、
陸の世界史から、海の地球史(グローバルヒストリー)あるいは、人類史へ
と希有な話が聞きたいですよね。
「海から見た歴史」を考える上で、やはり、日本人が考えた「大きな文明史
・世界史観」として、今回以降、川勝先生の文明論をご紹介します。骨太の
日本文明論でもあります。「川勝海洋史観」と現在呼ばれています。
興味を持たれた方は、詳しくは、上記本の本文をお読み下さい。図書館、大
きな書店には在庫があるでしょう。これからの紹介の間違いがあえば、その
責任は山田です。また、内容の質問には、残念ながら、お答えできません。
以下文章内容にくり返しが多いですが、お許しを。
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16世紀に東南アジアで、日本と西欧は遭遇する。
ヨーロッパは大航海時代。日本は和冦・戦国時代。この当時、文明の中心で
あったアジアから、同じように、アジア発の主要物産を輸入していた日本と
西欧(特にイギリス)は、「近代世界システム」成立の課程で、国内の輸入
代換えに成功し、並行的に発展を遂げたか。日本はいかにこの19世紀時期、
対アジア間競争の勝利者になっていったか。
「海洋アジア」の経済圧力が、近代史を書き換えた、
西洋イギリスでは、産業革命をおこし、アジアをはさんで反対側の、アジア
の東の端の、日本では、勤勉革命(生産革命)を起こした。この革命で両者
は、「海洋アジア」から「脱アジア」を図った。
江戸時代の鎖国の間に日本は富める国になるための基本条件はそろっていた。
イギリスは、綿工業の自己産業化にあたって、アメリカ等の綿をアフリカの
奴隷を労働力として使用し次第に大西洋を中心とした自国経済圏で、産業化
し、産業革命をおこして富める国に脱皮していく。
一方の東の端、日本は、自国内で徹底的に自己完結的に革命をおこなった。
日本の自給圏は、日本国内(陸地志向)。英国の自給圏は、大西洋・大英帝
国である環大西洋圏。(海洋志向)。新大陸の金銀の1/3が、アジア物産
の購入のために、アジアへ。日本もアジア物産購入のため、金銀銅を輸出し
ていた。16世紀には日本は世界最大の産銅国であり、東アジア社会世界に
銅を輸出していた。東アジアでは、漢代から中国の銅銭が国際共通通貨であ
った。
日本では、平清盛が、奥州の金を輸出し、銅銭(宋銭)を輸入していた。江
戸時代まで日本には、独自の銅銭がなく、江戸幕府の寛永通宝を発行し、中
国銅銭を駆逐していった。日本史上で始めて日本国内から姿を消した。清中
国(康煕帝以降)の銅銭の素材は日本の銅である。また、銅はアジア全体の
交易交換手段であった。かっての中国に変わってアジアにおける最大の
貨幣材料の供給国になっていた。
日本とイギリスとは、「貨幣素材」流失を防ぐために、アジア物産を国産化
する必要にせまられていた。イギリスの産業革命は、木綿の機械事業から始
まっている。
参考として「近代世界システム」(翻訳・岩波現代選書・名古屋大学出版
会1981年から・原本初版1974年から)は、アメリカの学者ウオー
ラーステインが提唱している理論。15世紀に出発点をもつ、現在の世界経
済システムの展開課程の理論です。
ブローデル(フランス)ウオーラーステインは20世紀後半最大の歴史家(
翻訳書は、藤原書店・地中海他)といわれていますが、川勝先生は、このブ
ローデル(フランス)ウオーラーステイン(アメリカ)理論から、独自に日
本も含めた文明史理論を提唱しました。この思想から影響を受け、川勝先
生の論は、「海洋連邦」論や、「ガーデンアイランド」論に発展していきま
す。
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鎌倉時代の[プロジェクトX]「東大寺大仏再建計画」大勧進職・重源
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●関西元気印?
はてさて、関西は元気がない。では、昔の関西ベンチャー企業はどうだったか
?を考える歴史講談です。昔を省みて今を嘆く話。
で、トレンドもとりいれて、 サラリーマンに人気のNHK番組に似せて、平安・
鎌倉時代の[プロジェクトX]をとして見てみましょうか。
内容は「東大寺大仏再建計画」。
(参考資料HPは文末に提示)
この話の主人公は、重源(ちょうげん)という大プロデューサーです。源平の
争いで焼け落ちた奈良大仏、大仏殿を日宋協同事業として再建しました。(ち
なみに奈良大仏・大仏殿は、戦国時代にも焼け落ち、江戸時代に再建されてい
ます)動乱の時代にアジアを股に掛け大仕掛けをした人です。
●歴史についてのお勉強
では少し、この時代のおさらいです。時期は源平の合戦から平泉大乱(奥州藤
原氏を鎌倉幕府軍が征服した戦乱1189年)まで。日本で初めて北から南まで武
士が大移動し日本が大戦乱の巷にあった時期です。つまりは、平安時代から鎌
倉時代への過渡期。武士階級が台頭し、国家が構造変革の時期です。
この時代、現在の日本と同じように構造改変が進んでいます。というか国(京
都王朝)のお金がなくなってきていました。荘園制が進み、国家に税金が入っ
てきません。財政破綻です。国家の経済システムを変更せざるを得ない時期で
す。何か今に似てますね。
おなじみ平清盛は、日本の経済機構を変えようとして、奥州平泉の黄金を、宋
に輸出し、逆に主に「宋銭」を輸入。当時の日本では永い間、銭(流通貨幣)
が鋳造されておらず、この宋銭は急激に普及しました。新しい経済の流通を作
ったわけです。
さらに平清盛は、日本の首都を福原(神戸市)に遷都。日本の国家構造を、貿
易立国に変えようとしていました。また同じ時期、多田の庄(現・兵庫県川西
市)に起こった摂津源氏の流れをくむ源頼朝は、この京都西国王朝に対して板
東(関東)地方の独立と、武士階級の階級闘争のために旗をあげます。
つまり時代が違いますが、アメリカの例に直すと、西部劇のカウボーイ(西部
地方の土地開墾牧場主)が首都ワシントンの官僚のいう事を聞かず、自分たち
の国「西部地方の武装開墾牧場主国家」を創ろう。日本では「坂東国家」を創
ろうとしたわけです。まあ経済特区ともいえますが。
●シニアベンチャー・重源?
この時期、讃岐出身の重源は武士階級から僧(勧進聖)となり、大勧進職[だい
かんじんしき]を執り行う事となります。勧進職とはあの歌舞伎弁慶の勧進帳で
有名ですね。勧進とはお寺の再建などをするために民間や貴族から寄金を集めて
物事をなしとげる事です。当時の勧進職を、いわばNPO組織を作り事業を始める
「ベンチャー事業家」であるとみてみましょう。重源は大勧進職役職についた時
すでに61歳。シニアベンチャー。京都王朝はこのようなご時世ですから、お金が
ありません。資金調達をも、この重源に頼むわけです。
重源は資金を調達し、最新技術を持つ人材を組み合わせ、プロジェクトをやり遂
げます。「企画から実施まですべてやってよ。あなたのコネクションを使ってス
ポンサーも見つけてきてよ」と京都から言われるわけです。重源は「スポンサー
になって!」と、源頼朝や、奥州藤原氏に依頼するわけです。
奥州(東北地方)は奈良時代から黄金の産地。奈良時代の大仏は塗金されていま
すので金ピカです。この奥州藤原氏の同族である西行法師に資金の斡旋をお願い
します。西行法師と重源は、高野山の修行時からの知り合いです。ダチです。西
行法師と奥州藤原氏は、平の将門(まさかど)乱(第1次関東独立運動とも言わ
れます)を鎮めた有名な武人、藤原秀郷(しげさと)の子孫にあたります。この
時代も(現代もそうですが)人脈と血縁関係は重要ですよね。
キーワードはヒューマンネットワーク。
重源は 人々(民間人)の宗教心と日宋貿易の利益を得てベンチャー事業を行った
わけです。日本全国を、阿弥陀の化身が一輪車でまわって行くという奇抜なアイ
デアで耳目を引き、東大寺再建キャンペーンを行うわけです。 寺の勧進と、兵庫
など港の建築にも当たりました。当時の兵庫、尼崎(大物浦)の港改修工事は、
重源の仕事と言われています。寺院再建材料である日本各地(特に山口県)の木材
を奈良の地まで搬入しなければなりませんでした。
ルートは?尼崎から淀川、山崎、奈良坂、を通じ奈良東大寺へ。この大仏殿の再建
に当たって木材資材の調達のため全国を歩きその事績が残っています。
そのための経済特区も作ってもらっていました。詳しくは末尾の重源(ちょうげん)
関連サイトをご覧ください。当時の一流国は宋であり、鋳仏師の陳和卿(ちんわげ
い)という中国の最新技術テクノクラートを連れてきています。
●支度一番になろう!
というような具合に、重源は資金調達、材料調達、流通経路の確保、彫金技術など
すべての技術と人間をも調達し[プロジェクトX]を成し遂げました。
1180年東大寺焼亡。1185年大仏落慶供養。1195年には大仏殿はじめ中門などの造営。
この重源の仕事のやりかたは、当時の言葉で「支度一番(したくいちばん)」と呼
ばれました。
企画・資金調達・実施・運営。プレゼンから報告書書き、式典まで、です。重源は
仕事を終えて、建永元年(1206)、86歳でその生涯を終えました。1192年、鎌倉で
は源頼朝が鎌倉幕府を開き「天下草創」を行いました。新しい世の中を作ったので
す。
願わくば、関西のベンチャー企業や個人の起業でもいいでしょうが「支度一番」に
なり個人事業の「天下草創」されん事を願ってやみません。
「重源の活動は中世日本のネットワーク構造を利用し、ゆりうごかし、ゆさぶるも
のでもあったし、そこに行使された数々の経済手段はあまりにも独創的なものだっ
た。」以上の文章は松岡正剛さんの「重源」伊藤ていじ著(新潮社刊)の批評文の
一部引用です。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0063.html
現在の我々も、考え方は一つではなく異なる考え方を取り入れながら、いろんな技
術者とクリエイター(創造者)の組み合わせで事業をやりましょう。
つまり、昔の関西人の方々は世界史上、アジア史上に残る大仕掛けを自らの力、実
行力で行ってきたわけです。それゆえ、今の日本人が負けるわけにはいかんでしょ
う。
今の日本人、ベンチャー企業、クリエイターの方々が、自らの人的なネットワーク、
技術ネットワークを再確認する。
東大寺大仏殿その他、関西に多々残る過去の大プロジュクトを思い起こし、事跡を
見て感動し、この日本人の業績を思い起こし、現在の大プロデューサーが出でん事
を、願います。
●重源の郷http://www.chogen.co.jp/
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藤田達生(三重大学助教授)の本
本能寺の変の群像ー中世と近世の相克ー雄山閣 2500円 2001年3月
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発行者は佐賀県にある城跡をみてなぜ、このような大城塞・軍事都市がここに
あるのか。日本全国の戦国大名がここに集まっていたのです。ここから、日本
の海の歴史についての興味が始まりました。それでは、秀吉の海外戦略とはな
にであったのか?
http://www.freeml.com/message/umi-rekishi-ken@freeml.com/0000001
今回の本のコンセプトは、「旧体制を倒すために、如何に新概念・大概念をつ
くり、それにより新体制をつくろうとしたか。その新概念の継承者は、それを
止揚したか。」です。
藤田達生(三重大学助教授)の本
本能寺の変の群像ー中世と近世の相克ー
雄山閣 2500円 2001年3月。
今までの日本史の歴史的概念を切りかえるべき疑問を提示するコンセプト本。
特に第3章は、「本能寺の変」という日本史最大の謎に、当時の文献資料を交
差させていき思いもつかない当時の政治の仕組みを言質される。この推理をど
う納得するか?は、読者の判断です。
16世紀の東アジアにおいては、旧世界の秩序が崩壊しようとしていた。この
ようなグローバリゼーションの時代の織田信長の政治改革の本質は何であった
のか。
この本の4つの課題(仮説)は以下のとうりです。
1なぜ尾張から近世を切り開く権力が誕生したのか。
2信長は足利義昭との抗争のなかで、いかなる国家構想を表現しようとしたの
か。
3なぜ、本能寺の変がしょうじたのか
4豊臣政権のありかたは、信長の政治的達成を、どう刻印づけたか。
以下は明治・大正期のジャーナリスト山路愛山(やまじあいざん)の言葉です。
「今の日本政府は、信長のたてたる政府を継承したるものにほかならず、日本
国民はこの新時代の開祖に感謝しなければ、、」日本の近代国家の源流は、
450年前の信長によるという認識です。
近代日本の基本的コンセプトは、どこからきたのか。民族的記憶の底になにが
あるのか。
藤田先生は、現代の社会状況が、戦国末・織豊期の社会状況とにているような
気がすると述べます。
信長、秀吉。家康この3人の軍事カリスマ独裁者がなぜ、このように、英雄と
してとりあげられているのか。
時代の転換期に、社会不安によって増幅された民衆の爆発的なエネルギーを背
景として強烈なカリスマが登場した。異民族に対する抑圧と戦争によって繁栄
がもたらされるとみる幻想は、信長、秀吉のみならず、そののちも声高に叫ば
れた時代が何度かあった。(p257)。
信長の統一事業は、初期は伝統的な「公武一統思想」にもとづくものであった
が、(足利幕府足利)義昭との抗争を通じて「天下」思想を定立する事で、新
たな王権を確立すべき倒幕を画策する。「天下」というコンセプトを如何に使
い、誰がそれをよりよく理解したのか。この「天下」というコンセプトは、当
時の武士にとって難解な抽象概念であり、武士に対する概念形成で、家臣団の
精神領域にに対する「革命」理論であり、秀吉のみが、この概念を把握し、百
姓(農民)が天下人になるという、最大の「下克上」が実現した。(p254)
秀吉は文学(物語)と宣伝の力を知悉した独裁者であった。中世から近代の飛
躍は秀吉によっておこなわれた。
16世紀。東アジア周辺は、中国を盟主とする文治・官僚国家が、儒教を外皮
とする柵封という外交関係で結ばれる。ただ、日本のみが、信長・秀吉・家康
という軍事カリスマ独裁者であり、まったく異相の兵営国家が誕生した。社会
的矛盾・富国強兵・戦争という連鎖はくりかえられる。現在の原点は、この時
代にある。という指摘がされています。
「1なぜ尾張から近世を切り開く権力が誕生したのか。」のまとめ
戦国の政治史は、将軍家二系統の分裂が基層にあり。細川管領家の細川政元
(1466ー1507)が「明応2年の政変」(1493年)によって将軍を
追放し、「京兆専制」と呼ばれる独裁体制を確立した。この折りの将軍家の分
裂・家位をめぐる対立が、以降の時代に政治対決として展開する。
信長はいわゆる戦国大名から脱皮し、環伊勢湾諸国を基盤とする政権を樹立す
る。尾張をはじめとする環伊勢湾諸国は東国と、西国の境目にあたる場所であ
り、「畿内」と、「東国」発生の領国体制の矛盾と緊張が蓄積された場所であ
る。日本の近世はこの「境界中の境界」の地方から発生した。信長の戦略は、
まず、流通支配をめざす。尾張・美濃・伊勢という3国支配をはじめに行う。
これは、室町幕府側の対立する細川ー三好政権を「環大阪湾政権」と名付ける
なら、それにたいする「環伊勢湾政権」である。それゆえ、「兵営都市・岐阜
」は軍事基地である。例証として、天正3年、信長は義昭勢力との勝算がつき
、その時期から信長文書が、「花押」から「朱印」に変化。表現も尊大化して
いる。
2「信長は足利義昭との抗争のなかで、いかなる国家構想を表現しようとした
のか。」のまとめ。足利義昭との抗争により、天正3年以降、信長の頭に倒幕
思想としての「天下」観ができる。天正3−10年は、信長と室町幕府の二重
政権期であり、「天下」コンセプトの象徴として安土城を建設しょうとした。
君臣関係、父子関係より超越する「公」概念の「天下」を信長は考えつく。こ
の「天下」コンセプトを東アジア世界の再編を念頭において外交戦略を行う。
またこの政治思想のモニュメントとしての安土城を建設する。この安土城は、
長浜城、佐和山城、坂本城、大溝城など琵琶湖をとりかこむ中継地点としての
城郭ネットワークというグランドデザインの構想のうえ、設計された。
3「なぜ、本能寺の変がしょうじたのか」のまとめ。
「本能寺の変」については近年、最近注目されている立花京子説があり、これ
は朝廷側からの関与の視点が提起されている。藤田先生は、この関係に加え、
織田政権内部に生じた矛盾の拡大過程がこの「本能寺の変」であると考える。
天正9年における四国政策の転換。によって、確実に光秀と秀吉の地位が逆転
した。光秀のクーデター劇は、志を一にする人間関係(旧体制派)に裏打ちさ
れて行われた。その人物関係は?。また、その時期、信長が、光秀の軍をつか
って粛清しようとしたいた人物は?、また、秀吉の情報戦略は?、この時期の
ターニングポイントを握っていた人物は、誰か?
4「信長の政治的達成は、豊臣政権のありかたをどう刻印づけたか。」のまと
め秀吉の天下を簒奪する「プレゼンテーション」行為は、大坂遷都論である。
天正13年、豊臣秀吉は、関白任官により、自らの国家思想を明確化する。
この時期までに、「本能寺の変」の主導者をすでに取り込んでいた。この時期
に中世は終わりをとげた。
以上、3の部分は、この本の肝部分なので、書きません。ぜひともお読み下さ
い。
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■原 隆之/アメリカ人はなぜ明るいか?/宝島社/1999年/660円
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日商岩井で,アメリカの企業とビジネスをしてきた在米10年の著者のアメリ
カレポートです。カリフォルニアのゴールドラッシュは今も続いている!その
場所はIPO(イニシャル・パブリック・オファリングという未公開株式の店
頭公開)だそうです。
シリコンバレーの住人のうち約25万人以上はミリオネアー(日本円で約1億
2,000万円以上の資産を持つ人)で、毎日65万人以上のミリオネアーが発生
している。がシリコンバレーは甘くなく、例えばIBM社など社員40万人の
うち30万人を解雇ですからね。
P111では、よくいわれる「忠臣蔵の定理」(アメリカ人は企業に対する忠
誠心が低く、日本人は忠誠心が高い)に対する答え。「企業封建制度の三大原
理」(1.企業は社員に高度の専門性をもたせない 2.転職をすると年収が
下がる 3.社員は住宅ローンなどの巨額の負債を抱えており、その返済に迫
られている)なので、この原理が成り立たない環境であれば、「忠臣蔵の定理」
は成立しない。よってアメリカでは、という事です。三大原理。耳痛いですネ。
アメリカ人は貯金をしないといわれているが、彼らは銀行の経営者や政府の役
人をあまり信用していない。(P134)
アメリカの会社ではボーナスがストックオプションで支給の形が多い。10年
前にアメリカ人と日本人が300万円の貯金を持っているとして、アメリカ人は
投資信託に預ける。日本人は銀行。10年後は、アメリカ1,213万円。日本331
万円。概算です。アメリカは種銭があればどんどん裕福になれる国。(P144)
401K年金シュミレーション表(P157)があるが、25歳の大学院修士を卒業し
た学生がまったく出世せず401Kを累積していくと、63歳で約4億4,000万円に
なるとのこと。全然日本と違いますね。
著者の主張(P215)何がアメリカを豊かにしているのか。ここが本のキモです。
「知的な付加価値であり、その付加価値に対する特権的権利を保証する国際適
法体制」知的付加価値とは、=先端技術・卓越したデザイン・優秀な経営手法。
社会の富がムダにされることなく絶え間なく高度な知的付加価値を生み出すた
めに消費される透明で高度な社会システム。アメリカとは、社会の透明性と平
等性が特権階級の産業支配を紡ぎ、特権階級が存在しないことから税金が無駄
に使われることがなく、また価値観の多様性を受容する社会が出来あがった国。
一流大学を卒業した学生が官庁や大会社にいかない社会でこそ、初めて高度な
知的付加価値が生まれる。と書かれています。すごく納得しますね。
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■佐藤俊樹/不平等社会日本/中公新書1537/2000年/660円
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さよなら総中流。「とんでもない事件や事故がこれから起こりつづけるだろう
」です。「努力をする気になれない」社会へ、現代の日本は、かなり急激な転
換を!。第4章「総中流」の落日ー自壊するシステム。キモはここです。
1.日本社会システム全体への疑問 2.IT革命について考えていきつつ私
は読書すると申し上げおります。そんな本がコレ。帯には、「崩壊する平等神
話」!。私は「団塊の世代は葉民になりつつある」論の人間ですが、これを読
んでまたまた納得。この本のキモのキモは、P128です。
■山田法則■本は途中から読め■です。(娯楽本は除く)
この本のキモ部分にショックを受けて、その前後を読みましょう。本の出だし
で、つまづかないように。さてP128です。
■「「団塊の世代」以降でも、この状態が続く限り「昭和ヒトケタ」が社会を
担っていた時代では、想像できなかったとんでもない事件や事故がこれから起
こりつづけるだろう」■
1995年以降、阪神大震災以降は特にひどいですね。と私は思います。
(想像できなかったとんでもない事件や事故がおこるのは)
■「責任感を持てないエリートと将来に希望を持てない現場の組合せでは、そ
うならない方がおかしい。会社が面白くないと言って離職する若い世代がふえ
るのも無理はない。何よりも彼ら彼女ら自身がこの空虚にとりつかれているの
だから。」■P128
■「「努力すればなんとかなる社会」から「努力しても仕方がない」社会へそして
「努力をする気になれない」社会へ、現代の日本は、そういう転換をそれもかな
り急激な形で経験しつつある」■P128
■「基礎的平等化による開放性に依存した産業社会や選抜システムが、W雇上
(ホワイトカラー雇用上層の略です)の階級化によって根底から大きく揺さぶら
れている」■P128
著者は佐藤俊樹東京大学助教授。専攻は比較社会学、日本社会論。この本は、1
995年の「社会回想と社会移動全国調査」(略称SSM調査)からの佐藤教授
の論です。この調査に対する他の方の論文は多くあり、佐藤教授とは結論が異な
るとのことです。でも私はこの先生の意見に賛成!です。新聞・雑誌の書評でも
異見ありの書評が多いです。が、サラリーマンの眼から見れば大当たりです。
この本は、P128のキモを見れば、読みたくなるでしょう。衝撃本です。
「親世代の豊かさが、教育と資産の2つの回路を通じて本人世代の豊かさに追加
される」(P75)
「80年代前半までの戦後の階層社会は、「それなりに努力すればなんとかなる
」社会になっていった」(P87)ここが2つめのキモ。
「W雇上(ホワイトカラー雇用上層)の家庭に生れたという既得権に「実績」を
つみ、そうすることで、その実績自体もまた既得権化してしまうのだ」「戦後の
日本では選抜競争が平等な競争であると信じられてきた。その中で「団塊の世代
」のように生まれによる有利不利が発生。しかし、今述べたような、既得権が実
績」化、「実績」が既得権化するメカニズムが働く」(P109あたり)
「日本のW雇上2世の中には自らの力に寄らないという事実すら全く気付かない
人もいる。」「平等社会の神話につながった時すべての人が自分と同じように生
活していると思いこんでいれば、みんな同じ条件で競争していると考えても不思
議ではない。けれども、それはW雇上の世界だしか知ろうとしないことであり、
もっと幼稚な自己中心的態度である」p110手厳しいが、当っているでしょう。
さらに同じくP120あたり。「1936年〜55年生まれの団塊の世代が、まさに日
本の選抜システムの転換点になっている。」
「団塊の世代におきたW雇上の階級化は生れによる格差は縮まらない」考えを持
てば、社会も企業も腐っていくだけだ、という結論に達する」。だが、事実です。
本を抱いて自殺しそうになりますね。では、どうすればいいのか。救いはあるのか。
P140以降の4つの課題点を見て下さい。ヒント。「カリスマ美容師」もその
一例です。ここでは書きません。本屋にてご覧下さい。
知識エリート(この本で言えばホワイトカラー雇用上層)の階級化(生れによる
有利不利)が、団塊の世代の成長とともに進んでおり、1985年前後には、戦前の
日本より以上に階級社会となった。問題点は、その知識エリートがその認識もな
く、責任感もない。」
IT情報リテラシーに関する部分は第5章の2から、P156です。
「IT論上の情報リテラシーにおいても、知識エリートは既得権を持っている。
努力すればなんとかなる社会でなくなった日本では、産業の空洞化、無力感
、閉塞感に被われたれた社会となる」
IT革命に関する部分は、P159のあたりです。「父主職という目に見えない
資産の力は、伝統的な学校型の知識だけでなく、情報リテラシーという新しい形
態の知識にも及んでいる」
「1995年時点のパソコンワープロは、先進的機器であり、それらの所有が示
すのは、むしろ高度な知識・能力とされるものへのアクセスの良さである」
「日本の知識エリートは、西欧語の読み書き能力を核とした「教養」を標識にし
てきた。(中略)近代日本の「教養」は単なる文化や階層的標識ではなく、実利
的なものであった。そのメリットが薄らいだ今、情報リテラシーという新たな知
識形態が浮上しつつある」(P160)
第4章「総中流」の落日ー自壊するシステム。P106.ここから読み進みまし
ょう。
中央公論新社のアドレスは
▲ http://www.yomiuri.co.jp/chuko/